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シチュノベL

『あやかしの殺陣』


01:呼び覚ます声


 後にして思えば、「その時」を迎えるまでに、少しずつ何かが食い違い、異変の兆しは見え始めていたかもしれない。



 一つ一つは些細なことだ。
 例えば雛川 麗は、自分が経営する書店で在庫を確認している時、書名を書き写そうとして誤った。それそのものは、大した事ではない。
 ただ。
 年月を経て色を深め、丹精に磨き上げてきた書架の光沢が、この日は何故か禍々しいものに見えて。お気に入りの本を抱え、棚の合間を小走りに駆ける業魂の雛川 慈の足音にも、少し苛立っていたかもしれない。それで、ふと注意がそれた途端に書名を誤った。こういうことは、常にはない。過保護な程に慈のことを可愛がっている麗が、その足音に苛立つ等ということは。
 ——あってはならないこと。
 麗が形の良い眉を潜めた時、彼女の店で本を選んでいた柏原 黒は、ふと平積みにされていた文庫の列から視線を離し、顔を上げた。何かの気配がある。そんな気がしてゆったりと頭を巡らせてみるが、「何か」の姿は見えない。
 黒の保護者を自認し、その横に立っていた白 雪一は、まだその「気配」に気付いていない。ただ雑誌を捲る指先が、僅かに熱くなる。その感覚を奇妙に思って、思わず自分の人差し指を見つめていた。

 異常、と言えるほどの異変はない。
 燃えるような赤い髪、同じ色で貫かれた衣装を身に纏うリューセリーズ=キルシュブリューテ=フォイアーフォーゲルは、その象徴的な色と同じ朧な影を、視界の隅に見たように思い、表情を変えぬままに眼差しを揺らす。そして確認できたのは、書架を埋め尽くす本の群れ、帳簿を手にして眉を潜めた店主の姿。赤い影は、意識して追えば見ることはできない。けれど、消えない。

 手頃と思われる料理の本を見つけた綾木 麗久は、麗に声をかけてレジに向かおうとしていた。そうして一歩踏み出した時、リューセリーズと同じ朧な影を目にて、立ち止まる。眠たげな目を瞬かせ、影の正体を知ろうと周囲を見渡すが、それらしいものはない。
「……気のせいか」
 胸をざわつかせる予感を押し殺すように呟いた、その一言が。
 積み重なってきた「何か」の最後の一欠片だったとでも言うかのように。

 空気が揺らぐ。

 中空で濃度を増す気配。その主成分が殺気だと悟り、麗は慈の名を呼び手を伸ばした。
「これ、なに……?」
 金属音が鼓膜を貫いた直後、急激に心を染めようとする感覚に戸惑い、激しい頭痛と吐き気に襲われ、慈は麗の指の先で頭を抱えて蹲る。
 何かが始まろうとしている、その先触れを敏感に感じ取り、黒は一歩、書棚から距離を得た。茫洋とした表情の中で、ガラスのように無機質な目に、わずかばかり楽しそうな波。
 その黒の動きを見て、どうかしたのかと問いかけようとした雪一は、衝動を衝動と気付かぬままにその波に呑まれた。眼鏡の奥で、元からあまり良くない目つきを更に凶悪なものへと変えて、身体を屈める。
 雪一と違い、麗久は自分の中に湧き上がってきたものが衝動であることには、気付いていた。視界を赤く染め上げ、全身の血を沸かせるようなその感覚。それがとても親しく気安いものとして、麗久の全身を包み込んでいく。衝動だと知っていてなお、抗うことすら思いつかないほど、気安く。


 何かが少しずつ食い違っていたかもしれない。
 そしてその些細な違いが、この先は無いというところまで高まっていく。
 最後の一滴は音もなく静かに堤防を打ち砕き、日常はあっけないほど簡単に崩れ去る。

「何か」
 自分と同じ色の影を探していたリューセリーズは、自身を取り巻く殺気の中に身を置きながらも、平然と。
「始まってしまったようですわね」
 呟き、虚空の一角に目を向ける。
 探していたものを見つけた。
 空間を歪ませるのではないかと思われるほどに濃密な殺気が、赤い霧と化して渦を巻き、何かを形作ろうとしている。それに伴い背筋を凍らせるような高い金属音が鳴り響いて、慈を抱きかかえていた麗は思わず耳を覆った。頭痛が悪化しているのか、慈は低く苦痛の呻きを漏らしながら、麗の腕の中で小刻みに震えている。
「一体何が起きているの!?」
 自分の店の中で突如として起きた怪異に驚き、麗は虚空に問いかける。その言葉に応えるようにして、事態は一気に動き始めた。リューセリーズの背後で何かが弾けるような気配があったかと思うと、荷ほどきの為に作業台に置かれていたハサミが突如として浮かび上がり、彼女を目がけて直進してくる。赤いメイド服の女は微動だにすることなく、空を割いて飛来する刃物を素手で掴み取った。
「どうしたことでしょう」
 動揺の欠片さえ見あたらない平坦な声と、変わらぬ表情。ハサミの切っ先はリューセリーズの赤い左目を貫く寸前で止められ、彼女の手の中で微かに震えている。その先端が僅かに傷をつけた己の手のひらを見て、女は淡々と語を継いでいく。
「久しぶりに血が見たい気分でございますね」
 ざわりと音を立てて、身体の内側から何かが蠢くような感覚。
 その波に呑み込まれた雪一が、低い呻きを漏らしたかと思うと、手にしていた雑誌を床に投げ捨て、学生服の内側からバタフライナイフを抜いた。
「  ォ」
 空気が掠れるような声が、唇から僅かに零れる。その自分自身の声に煽られたかのように、雪一は手にしたナイフを黒に向かって立て続けに二本、投じた。黒が首を傾けるだけの仕草でそれをかわしたのを睨み据えながら、雪一は三本目のナイフを抜いて腰溜めに構えると、切っ先を黒に向けたまま突進した。剣呑な輝きが空を薙ぎ、鋭い刃が小柄な少女の上に落ちかかる。黒は無機質な目でその光景を追っていたが、ナイフが己に触れる寸前で雪一の手首に己の指を添え、僅かに軌道を逸らした。
 バタフライナイフが、黒の真横の空間を寸断する。それを確かめることすらせず、黒はバランスを崩した雪一に向かって手を伸ばすと、首筋から這うような動きで耳を掴み、投げ飛ばす。狭い店内、下は固い床。細い指に掴んでいるのは耳。下手をすると相手を殺しかねない危険な技だが、躊躇う気配すらない。少女から苛烈な反撃を受け、雪一の長身があっけなく空中で一回転し、ダークブラウンの書棚へと強かに叩き付けられた。

「大丈夫!?」
 あまりにも軽々と吹っ飛ばされた雪一が、そのまま床に崩れ落ちて動かなくなったのを見て、慈を抱きかかえた麗が声を上げる。しかし雪一の方から黒に危害を加えようとしていたので、彼を助け起こしてよいものかどうか咄嗟には判断が付かず、麗は呼吸を引きつらせていた。何よりも今は、腕の中に慈がいる。何よりも優先してこの子を守らなくてはならないのだ。
 店の中でおかしくなっているのは人間ばかりではなくて、リューセリーズを襲ったハサミのように、様々な物体が浮かび上がって麗や他の者たちを傷つけようとしていた。封書を開封する為のペーパーナイフ、ダンボールを解体する為のカッターナイフ。それに雪一が投じて黒がかわしたナイフも再び、宙に浮かび上がっている。
 慈を守りつつそれらを腕で叩き落としていた麗だが、不自由な動きの中では限度があった。一つ二つと手傷が増えていき、このままでは慈を守り抜くことができないと、ロングスカートを捲り上げて太股に括り付けられていた短刀へと手を伸ばす。人からの預かりもので名も由縁も知らぬ御守短刀なので、滅多なことでは抜きたくないが、今は仕方ない。
 麗が短刀を構えて威嚇するように周囲を見渡すと、それで少し、刃物の攻撃が和らいだ気がする。

 ——そういえば。

 油断なく短刀を構えたまま、麗が呟く。
 店には色々なものが置かれているが、浮かび上がり敵意を向けているのは刃物だけ。例えば、本などは勝手に動き回ったりしていない。
 逆に刃物は全てあやかしの様に不可解な動きを繰り返しているが、麗の短刀だけは何かの力で守られているのか、彼女の意に反して襲いかかるようなことはなかった。
「お姉さま……なに……か、へん、だよ……。すごく苦しい……頭がいたいよ……」
「しっかりして、慈ちゃん! すぐに何とかしてあげるわ。だからもう少し頑張って……!」
 これで少しは効き目があるだろうかと、麗が短刀を慈の頭上に翳して幼い身体を抱きしめる。何度も何度も励ます声をかけながら、異様な状況にどう対処したものか、彼女も決め手を見出せずにいた。

 慈を励ます麗の声を、麗久はどこか遠いもののように聞いていた。身の内のどこかから湧き上がる狂暴な衝動が、血管を這い昇って麗久を絡め取る。

 鞘から放たれねばならない。
 そう思う。
 武器としてあるからには、一度手に取られれば鮮血を吸うのが本来ではないのか。

 そうした声が麗久の心を強力に塗り替え、空恐ろしいほど血に馴染んでいく。常から赤い瞳を一層赤く染め、抗いがたい衝動に呼応するように胸が高鳴り、麗久は双眸を店の片隅に向けた。
 ちょうど、そこに、獲物がいるではないか。
 しゃがみ込んで幼子を抱え、自分に向けて無防備に背を晒している、女。
「あ」
 心身を塗りつぶす衝動に、麗久が完全に呑まれる寸前。麗に向けて一歩踏み出そうとして、その寸前で彼女は思い止まった。赤く染まりかけていた視界に、大切な人が笑っている顔がふと浮かぶ。その笑顔に縋るようにして自分の喉を強く掴むと、麗久は大きく頭を振って銀の髪を流した。
「あああああああッ」
 何かを断ち切るような雄叫びと同時に、大きく振った頭部を店の柱へと打ち付ける。鈍い音と同時に麗久は正気を取り戻し、そのことに安堵してズルズルとその場に崩れ落ちた。

「え……? なにこれ……?」
 動けば潰すぞとばかり、黒の指が自分の眼前に揃えて置かれているのを見て、雪一が目を瞬かせる。それから書棚に叩き付けられた背中を中心に激痛が走って、その痛みの中で何が起きていたかを漠然と悟った。
「ちょ……タイム! タイム! 戻った戻った! 正気に戻ったから指どかせってクロ!?」
 このままだと動かなくても何気なく目を潰されかねない、そう思って慌てて目の前の少女に告げると、黒はどことなくつまらなそうな様子で雪一の前から退く。
 慌ただしいその声で、他の者たちも状況がひとまず落ち着いたことを認識したようだ。麗がほっと息をつき、慈に頭痛はどうかと確認している。リューセリーズは座り込んでいる麗久の元へと歩み寄り、「大丈夫でございますか」と声をかけた。
「……大丈夫だ」
 リューセリーズに応えながら、麗久は緩く頭を振る。その額に血が滲んでいるのを見て、リューセリーズはそっとハンカチを当てると手当を始めた。
「いったい、何があったの。どういうことなのかしら、これは」
 怪我人や荒れてしまった店を見て、麗が溜め息混じりに声を落とすが、その問いに応えられる者はいない。誰もが状況を掴みかねて、店にいる他の者たちの顔を見やっていた。
「ハサミやペーパーナイフが勝手に飛び回っておりましたので、尋常ならざる事態ではあるのでしょうが。原因はしかと分かりかねます」
「……衝動を感じる前に、何か赤い影のようなものを見たような気がする。あれが原因ではないのか?」
 リューセリーズに借りたハンカチで額を抑え、麗久は低い声で告げた。これまで人として生きてきて、あのような暗い衝動と無縁でいたというのに。衝動を受けている間は、確かに感じていた。

 人を殺したい。誰かを傷つけたい。

 そうした血生臭い欲動が、今もまだ自分の中にこびり付いているようで、酷く気分が悪かった。僅かな時間ではあるが、業魔としての本能を揺り動かされたような感覚。自分を人から遠ざけたあの衝動が許し難く、麗久の双眸は店の中にあの赤い霧を探している。
「ポルターガイストに似ているけれど、動いていたのは刃物だけなのよね……。その赤い霧が原因だとしても、何か刃物に関係があることなのではないかしら」
 麗久の様子を気にしつつも、麗は店内を見渡して眉を寄せる。刃物が関係しているとは言っても、今まで使っていたペーパーナイフやカッターが原因とは思えない。となると、この場にあって麗に馴染みがない刃物は、ただ一つ。
 いや、一種類、というべきか。
「……あなたの、そのバタフライナイフ。それが原因ではなくて?」
 黒から逃げ回っていた雪一に目を向けつつそう言うと、雪一は自分を指さして「俺?」という顔をした後、慌てて首を振る。
「ンなワケないでしょ。これだって今まで持ってたけど、何ともなかったわけで……」
「だいたいどうしてバタフライナイフを持ち歩いていたの。それも三本も……」
 そう言いかけて、麗は本棚の横に四本目のナイフが落ちているのを見て、目を眇める。麗が見ていたのは三本だけだったが、どうやらまだ持っていたようだ。入り口付近にも一本。
「……五本も」
「……実はもう三本ぐらいあるかな、なんて」
 てへ。
 笑いながら、雪一がどこからともなく残りの三本を取り出してみせる。それを見て麗は完全に呆れ、「危ないでしょう」と咎めるように言った。そのまま説教モードに入ろうとする麗の袖をツンと引き、黒は自分が持っていたメモ帳を指し示し、そこに言葉の代わりの文字を書き連ねていく。
『あのナイフは、シロがいつも持っているものです。これまでに問題が起きたことはありませんでした。もちろん、今日のようなことも』
「……そう」
 八本ものバタフライナイフをいつも持ち歩いているという、そのこと自体が問題だという気はしたが、取りあえず雪一のナイフが今日の怪異の原因というわけではなさそうだ。
 しかし、だったら何故。
 同じ疑問を胸に、六人が顔を見合わせる。それから一拍置いて、雪一は疲れたように息を吐き出しつつ言った。
「こういうのはやっぱ、餅は餅屋ってことじゃねえの?」
 黒に投げられた時に痛めた背をさすりつつ、そう提案する。この事態を放置しておくわけにはいかないが、警察のお世話になるのは勘弁願いたい。となれば、頼れる場所は限られている。……ついでに言うなら病院にも行きたくないし、荒らしてしまった店の備品を弁償するのもできれば避けたいので、上手く話が逸れてくれるならそれにこしたことはないな、なんて。
「たとえば探偵事務所とか」
 肩を竦めるようなニュアンスでそう言った雪一の言葉に、他の者たちはもう一度顔を見合わせて。
 他にこれといった妙案もなく、連れだって事務所を訪ねることにした。


02:探偵事務所


 雛川書店が怪異に見舞われる少し前、入江地区にある探偵事務所では、四人の業魂がある事件の調査に協力していた。
 入江地区を中心として刃物による殺傷事件が連続して起きていたのだが、未だ犯人の目星すらついていない。初めは異常者の犯罪かとも思われたのだが、完全な密室で殺害されたものも幾人かいて、警察の捜査は大いに混乱していた。
 こうなると、何か怪異が起きているのではないか。
 そう疑われるのがこの華羅市という場所で、被害者の遺族の一人が「その手の専門家」と思われる探偵に依頼を持ち込んだのである。
「困るんだよなあ、こういうの」
 俺は別に化け物相手の専門家じゃねえよ。
 依頼を持ち込まれた探偵はそう吐き捨てたが、金になりそうな仕事を選り好みできる身分でもない。かといって自分一人の手に負えるとも思えず、考えた末に緋月 桜子へと調査の協力を求めたのだ。

「犯人が常人ではないのは確かでしょうね」
 これまでに探偵が纏めた調査書類に目を通し、桜子が呟く。トラブルシューターのアシスタントを務める彼女は様々な事件を目にしてきたが、密室トリックがどうこう等というような、ある意味典雅な成り行きではあるまい。手練れとして探偵から調査の協力を依頼された桜子は、殺害現場となった密室や周囲の証言などから、そう判断した。
「ま、そうだよね。密室で起きた事件もあるってだけで、最初から密室トリックを狙って犯行に及んだとは思えないし。背中から刃物でドスン!じゃねえ。自殺に見せかけるってわけにもいかないじゃない」
 親友の桜子を手伝って探偵の事務所に来ていた白瀬 智が、左耳の羽根飾りを弄りつつ調査書類を覗き込む。犠牲者の遺体が写っている写真も幾つかあるが、どれもまともな人間の成した技とは思えない。人間などその気になれば幾らでも残酷になれるものだが、狭い室内で複数の刃物を使いながらトドメは袈裟懸けの一刀。余程の達人でもない限り、この狭い空間であれほどの刃物を自在に操ることなど出来るはずがない。
「……あれ? そういえば、このトドメに使われた刃物はどれ? 室内から見つかった凶器の中にはないんじゃない?」
 つ、と書類を指でなぞりながら智が指摘すると、桜子も「そうですね」と書面を確認して頷く。
「現場に残されていたのはカッター、ハサミ、女性用の剃刀。……それでこの傷は無理ですね」
「でしょ? これ、どう見ても刀とかそういうサイズじゃない?」
 刃物のサイズを示すように智が両手を広げて見せると、彼女たちとは別に探偵から依頼を受けていたチャム=ファルコン=フィガロも、他の被害者の報告書を示して「こっちも」と言った。
「この人の致命傷も現場に残されていた凶器とは一致しないね。全部刃物の傷っていうのは確かなんだけど、この致命傷になったヤツ。このリストにある刃物じゃ無理だ。一番大きいので包丁だし」
「……そうなると、何者かが外部から侵入し、これだけの刃物を利用して被害者を追い詰めた挙げ句、大きな刃物——刀ですとか——でトドメを刺した……ということでしょうか?」
 チャムの意見を聞いて、桜子が眉を潜めつつ首を傾げる。他の二人も顔を見合わせて、やや困惑気味に息を落とした。どう考えても妙な状況だ。

 調査書から読み取れることには限度がある。三人が実際に現場を訪れてみようかと相談していると、携帯で誰かとやり取りしていた探偵が、女性陣を振り返って報告を入れた。
「目撃者を迎えに行ってたヤツがこっちに戻ってくるそうだ。その話を聞いてから動いたらどうだ?」
「あ、厭ちゃんか。じゃあ一息入れつつ待たせてもらおっかな」
 そう言って智が自分でいれたレモンティーに手を伸ばした時、事務所のドアがノックされ、新たに六人の男女がはいってきた。
「すみません、調査をお願いしたいことがあるのですけど」
 六人を代表して探偵に声をかけた麗は、事務所の中に見知った顔があることに気付いて目を瞬かせる。
「あら……桜子さんたちもこちらに調査を?」
「私たちは探偵さんの調査のお手伝いで」
 桜子が控え目にそう挨拶して、それから麗たちにもお茶を勧める。知り合いが多く集まったこともあり、麗は桜子らにも店で起きた事件を聞いて貰うことにした。トラブルシューターとして様々な事件に関わってきた彼女なら、こうした怪奇にも何か心当たりがあるかと考えてのことだ。
「刃物が……襲いかかってきた、ですか……?」
「ええ。店の中の刃物がいきなり浮かび上がって、人を目がけて飛んできたのよ。それに慈ちゃんも具合が悪くなるし……」
 スカートにしがみつくようにしている慈の頭を撫でつつ麗が説明すると、ごく当たり前のように茶の仕度を手伝い始めたリューセリーズが抑揚のない口振りで捕捉する。
「それに、なにか衝動のようなものを感じました」
「衝動ですか?」
「ええ。……久しぶりに血を見たい、そんな気分でございました」
 麗久の前に紅茶のカップを置きながら、赤色を全身に纏うメイドがそう告げる。彼女よりも衝動を身に馴染むものとして感じていた麗久は、硬い表情でカップの中の紅茶を見ていた。今でもあの瞬間のことを思い出すと、喩えようもない嫌悪と……それに微かな懐かしさを感じる。

 麗たちから話を聞いた桜子は、思わず手元の書類を見直してしまった。状況がよく似ている。というより、似すぎている。複数の刃物による襲撃。刃物が勝手に浮き上がって攻撃してくるというのであれば、密室でもお構いなしに発生するのも納得できる。他の街では有り得ない事件だろうが、ここは華羅市だ。「普通ではない」事件がそこらに転がっている街。
「それって、襲ってきた刃物の中に刀はあった?」
 話を聞いていたチャムが麗たちに問いかけてみるが、麗はあるわけがないと首を横に振る。
「お店にあった刃物が襲ってきたんですもの。私が持っている短刀は影響を受けなかったし……」
「短刀ってサイズのじゃなくてさ。もっと大きいヤツはどうだい?」
「そんなの、尚更ないわ」
「いや」
 麗がチャムの言葉を否定しようとした時、じっとカップを見つめていた麗久がゆるく首を振る。それから記憶を引き出すようにして、一言ずつ話した。
「あの、赤い霧。凝縮して何かを形作ろうとしていたが、あれは刀ではないかな」
「刀かあ。それそのものは見てねえけど、操られてる間、ずっと……刃鳴りっつーのかな。変な音が聞こえてたっけ」
 麗久の言葉に繋げるようにして雪一も違和感を伝えると、事務所には少し重い空気が垂れ込めた。雛川書店で起きた事件がこれまでの連続殺傷事件に連なるものだとすれば、ある意味では幸運だった。これまでの事件の中ではとびきり被害が少ない方だ。しかしそれは、単にあの場に集まっていた六人が、トラブルに対処する術に長けていただけだという気もする。雪一などは意識がないままにナイフを用いて暴れていたわけで、相手が黒でなければここでも死体が転がることになっていたかもしれない。
「……かなり危険な事態ですね。刃物が飛び回るだけでも脅威ではありますが、まして人を操る能力があるのだとすれば」
 厄介なことになる。
 桜子がそう呟いたのと、ほぼ同時。
 連続殺傷事件の現場にいたという目撃者——業魂だ——を連れて、白川 厭が戻ってきた。


03:誘う声


「すみません……遅くなってしまって……」
 探偵に頼まれて目撃者を呼びに出ていた厭が、戻ってきて小さな声で報告する。事務所の中に人数が増えているのを見て驚いたようだったが、よく足を運ぶ書店の店長である麗たちが事情を説明すると、「大変でしたね……」と労りの声をかけた。
「こちらの方が、事件を目撃なさっていて……」
 厭から紹介されたのは、二十代の半ばと見られる青年。知人の家で事件に遭遇したという彼は、苦々しい口調で話し始めた。
「最初は特に変わったことがあったわけじゃないんだ。知人の家で商売の話などをしていて、幾つか案件をまとめてね。確かケーキを出して貰った時だったかな、その時から少し奇妙な感じはあったかもしれない」
 些細なことではあるが、ふと胸の内がざわめくような感覚。男が何だろうと眉を潜めていると、その瞬間は急に訪れた。
「まずケーキを切り分けていたナイフが、いきなり浮かび上がってね。俺に向かって飛んできた」
「……やはり状況が似ていますわね」
 青年にも茶を出してやりながら、リューセリーズが呟く。
「それから茶を飲んでた知人が、俺に掴みかかってきてさ」
「それで反撃でやっちまった、と?」
「冗談じゃない」
 それまで青年の話を黙って聞いていた探偵が口を挟むと、青年は不愉快そうな様子になって吐き捨てる。
「なんとか取り押さえるのに成功したよ。床に転がして、上から押さえつけてさ。どうしたもんかと思っていたら、突然」
 背後から強烈な殺気を感じて、青年は思わず飛び退いたのだそうだ。その半瞬後、それまで青年がいた空間に日本刀が飛来して、床に転がっていた友人を貫いた。……そう話した後、青年は大きく溜め息を落とした。
「まあ、ヤツも業魂だったんで助かったんだが」
 魂命石さえ砕かれていなければ、業魂は自然に身体の傷を修復できる。それでも事件の衝撃は大きかったようで、知人は今も寝込んだまま動けずにいるという。
「業魂? その刺された人、業魂だったのか……」
 何かが心に引っかかる。そう思って智が呟くと、青年の話を聞いて考え込んでいた麗久が、ゆっくりと口を開いた。
「……そういえばあの時も、様子がおかしかったのは業魂の我々ではなかったか?」
 その言葉を聞いて、雛川書店で怪異に見舞われた者たちは確かめるように互いの顔を見た。頭痛が酷く蹲って動けずにいた慈、衝動に呑まれた雪一、やはり衝動に囚われつつあった麗久。リューセリーズは動じた様子こそなかったものの、血を見たい気分だとは言っていた。
 一方で麗は騒動の最中にも、そのような衝動を感じてはいない。
「黒ちゃんはどう?」
 麗が問うと、生来聴覚に障害がある黒は、自分のメモ帳に『なんともありませんでした』と書き綴っていた。
「でも……同じ業魂でも、こちらの方は襲いかかったりはしなかったんですよね……?」
「俺は別に。なんかイライラしていたのは確かだけど、思えばあれは殺気に反応してたんじゃないかな。誰かを襲いたいとか、まして殺したいとかは思わなかったなあ」
 厭の疑問に答えて、青年が当時の様子を思い出しながら話す。業魂でありながら、目撃者の青年は雪一たちほど強烈な衝動は感じていなかったのだ。この差はどこにあるのだろう?

 使い手もいないのに浮かび上がる刃物、そして致命傷を与える日本刀。衝動に駆られた業魂。
 何かで繋がっているのは確かなのだが、その何かがハッキリしない。
 足りていないピースを探すようにして思考を組み立てていた智は、不意にその破片を見つけて顔を上げた。
「……あれ? 雛川さんの所にいた面子ってさ」
 先程から胸につかえていた違和感の正体を、捉えた。
 そう思って智が声を上げると、黒も頷いてメモに字を走らせた。
『業魂は、みな、ヨモヅチですね』
「だよね? ねえ、アンタの業種はなに? それにその被害にあった知り合いは?」
「俺? 俺はマガホコだけど。知り合いはヨモヅチだよ」
 俺も知り合いも、あまり大した霊技は使えないけど。
 青年はそう自己申告したが、重要なのはそこではない。
「これは、間違いない、でしょうか」
 今までの話を脳裏でまとめ、桜子が表情を険しくする。雛川書店で衝動を感じた者は、みな業魂でしかもヨモヅチだった。この目撃者の遭遇した事件でも、様子がおかしくなったのはヨモヅチ。そして同じ業魂でも、マガホコの青年は衝動に影響されていない。
「なるほど。カッターだのハサミだの浮き上がってると思ってたけど、俺たちまで刃物繋がりだったってか」
 皮肉な口調で雪一が吐き捨てると、その言葉に驚いたように、厭が赤い眼を大きく瞠る。
「あの……雛川書店の皆様だけではなく……。私も、緋月さんたちも、ヨモヅチですね……」
「そうなんだよねえ。どうも他人事じゃ済まないようだ」
 奇妙な偶然なのか、或いは何かに呼び寄せられているのか。
 雛川書店で事件に遭遇した業魂ばかりではなく、この事務所で探偵を手伝っていた四人も全て、ヨモヅチだ。この事件がヨモヅチに何らかの影響を与えているというのなら、まさに他人事ではない。チャムは豊かな灰色の髪を掻き上げ、思案を巡らせる。
「犠牲者も出てるしね。次はボクたちが事件に巻き込まれる恐れもあるわけだ。手早く解決しちゃうに越したことはないね」
 面倒というだけでなく、厄介な事件が身近に迫ってきている。
 そのことを思い知らされて、探偵事務所に集まっていた者たちは思わず黙り込んだ。


04:あやかし


 目撃者となった青年から更に詳しく話を聞いてみると、知人は普段は穏和な性格をしており、無闇に暴力を振るうような男ではないという。まして刃物を浮かび上がらせたりする能力がある筈もないので、外部から何らかの干渉を受けていたのは間違いない。
 そして、もう一つ。
「室内に日本刀はなかった、と。ま、普通の家にポン刀なんぞあるわけないわな」
「バタフライナイフを八本も持ち歩いているのも、普通の人とは言えないと思うけれど」
 目撃者の話を聞いてウンウンと頷いていた雪一に、麗がチクリと皮肉を返す。それから事件の概要を眺めて、溜め息を零した。
「そうなると、その日本刀は外からやって来てるわけね。やっぱりレクさんが言っていた赤い霧がそうなのかしら?」
「まあ、日本刀と言えば呪いの一つや二つは付きものという気もいたしますね」
 真面目な顔と口調でそう言ってくれたリューセリーズの言葉はともかく、仮に赤い霧が日本刀と無関係だったとしても、どこからともなく現れて人を殺めているには違いないのだ。となると、何かいわくのある刀が関係しているのではないかと推測することはできる。
「そんな条件に当てはまる刀がそうそう転がっているとは思えません。その辺りは調べればすぐにわかりそうですね。刀剣商や骨董屋を洗えば判明するでしょう」
 思い当たる店を幾つか脳裏にリストアップしつつ、桜子は改めて後から来た六人に向き直る。敵は神出鬼没、しかも密室だろうとお構いなしに現れるのだ。これを自分たち四人だけで探すのは、どう考えても手が足りない。
「もしよろしければ、麗さんたちもこの事件の調査に協力していただけませんか? 警察の手に負えないのは明らかですし、私どもだけではやはり手が足りません。事件の凄惨さを考えれば、一刻も早く解決してしまいたいですし」
 桜子の申し出を受け、雛川書店で事件に遭遇した六人は顔を見合わせた。真っ先に協力を申し出たのは、呑み込まれる寸前で衝動から逃れた麗久だ。
「……良いだろう。私としても早く始末をつけてしまいたい」
 想い慕う宵闇の者と共に歩み、今までは業魔としての本性など忘れて過ごしていた自分に、それを思い出させた。そのことには、きっちり礼をさせて貰わねば気が済まない。心中密かに怒りを募らせる麗久の横では、リューセリーズも静かに頷いていた。
「血が騒ぐのもたまになら悪くありませんが、そう頻繁ではどうかと思いますしね」
 雪一はとにかく再びあの衝動に乗っ取られたくないという一心で、桜子の提案に同意する。万が一にももう一度身体を乗っ取られるようなことがあれば、今度こそ黒に屠られかねない。同時に、黒を傷つけるかもしれないという懸念もあった。その雪一に恐れられつつ案じられている黒はといえば、初めから事件を「面白いもの」として捉えているので、関わっていくことに異論はない。
 この四人に加え、慈までが「ボクもおてつだいする」と言い出して、麗は思わず「駄目よ」と声を上げていた。
「そんな危険なこと、簡単に引き受けるのは良くないわ。まして慈ちゃんはまだ頭が痛いって言っていたじゃないの」
「あたまが痛いのはもう平気だよ、お姉さま」
 麗の袖を掴み、慈が必死に訴えかけるが、どう見てもまだ顔色が悪い。もう一度「駄目」と言おうとした麗の言葉を遮って、慈は大きな目で姉を見上げた。
「だって……あんなの……あんな、だれかをきず付けようとさせたり……ぜったいダメだよ……」
 あの騒動の最中、慈は酷い頭痛と吐き気でずっと身動きできずにいたが、他の者たちの話を聞いて、その原因が誰かを傷つけさせようとする衝動によるものだ、ということは理解していた。
 だとしたら、絶対にこのままになどしておけない。
 一歩間違えれば、自分が姉を傷つける恐れもあったのだ。そんな不安を抱えたまま日々を過ごしたくないし、他の者たちにもそんな思いをさせたくない。
「でも……」
 日頃は大人しい慈が強い口調で訴えるのに気圧されながらも、麗はすぐには頷けずにいた。しかし桜子たちを手伝って事件を解決してしまうより他に、有効な手だてというのも思いつかない。相手は正体不明の妖刀、つまり誰を狙っていつ襲ってくるか分からないのだ。一度襲撃を退けたといっても、それで安全が保証されたわけではない。
「……仕方ないわね。でもお願いだから、みんなも無茶はしないでね」
 溜め息混じりに麗がそう言って、雛川書店で事件に遭遇した六人も、捜査に協力することが決まった。


 まずは手分けして情報を集めようと、桜子と厭が二人で刀や骨董品を扱う店を訪ねて回る。幾つか空振りが続いた後で、二人はようやく事件に関係ありそうな話を聞くことができた。
「ま、僕じゃなくて商売仲間の話だがね。いわく付きの刀といえば、とっておきのやつがある」
 古い武具を専門に商ってきた老人は、神経質そうな仕草で眼鏡を磨きつつ話を切り出した。通常なら、ただ店を訪れてきただけの人間にこんな話をしたりはしなかっただろう。古物や刀剣を商う業界は狭く、ネットワークは深く根を張るかわりに外部には話が漏れにくい。
 しかしこの老人は以前、トラブルシューターとしての桜子とその魂約者の世話になったことがあった。それで話を聞かせてくれる気になったのだろう。
「詳しい来歴は僕も知らない。ただ、知り合いの刀剣専門の奴からとんでもない掘り出し物があったと連絡がきてね。はっきりと場所は明かさなかったが、どこか神社に奉納されていたものらしい。……いや、奉納と言うより」

 封印、なのかな。

 老人は声を潜め、うっそりと笑った。
「古いものらしいね。鎌倉古刀ほどではないが、戦国の初期には打たれていたという。戦乱で流れ流れて、江戸の頃には小藩の藩主が佩刀にしていたそうだ。ところが、御家騒動があってね。若い藩士がその刀を奪い、主を……」
 斬り捨てた。
 刀を振るう仕草をしてみせて、老人は喉元に笑いをくぐもらせる。話振りが堂に入っていて、厭は思わず両手を口元で縮こまらせた。
「まあ、その藩士は当然だが打ち首ということになって——主討ちだ、腹を斬らせては貰えんだろうしね——、その後も点々と持ち主を変えていたそうだよ。呉服屋の旦那がその刀で女を五人殺したとか、明治に入ってからは女が男を刺したとかね。そういう血生臭い話が常にまとわりついていて、それでこれは呪われた刀だと、そんな話になったらしい」
「それで……神社に奉納という形で封印されたのですね?」
「そう。ところが、神社だっていつまでもずっと続くわけじゃないからねえ。戦後に随分縮小されて、ついに代が途絶えたと。僕らはそういう話は耳ざとく聞きつけるからね。寺や神社はだいたい、どんなに小さくても何かしらの名物は持っているものさ」
 合いの手を入れた桜子に頷き、老人は話を続けた。
「ま、あいつは運が良かったのか悪かったのか。真っ先にその話を聞きつけて、その神社に駆けつけた。そこまでは良かったんだがねえ」
「何か……あったんですか……?」
 事件の凄惨さに驚きを隠せないと同時に、刀に関わることでもあって、好奇心も少しばかり。怖いような気はするけれど、聞きたい。
 恐る恐るといった様子で厭が問えば、老人は苦笑して頷く。皺の深い顔に、僅かばかり悲嘆の色が見えた。
「刀を手に入れた翌々日、死体で発見されたんだ。正面から刃物で——恐らくは日本刀で——斬りつけられたようで、それが致命傷だったと聞いた」
「……それで、その刀は今、どちらに?」
「行方が分かっていないんだよ。室内にはそれらしい刀がなかったそうでね。帰ったら見せると、僕に掘り出し物を自慢するメールを送りつけてきたんだから、絶対に刀が一振りはある筈なんだがなあ」
 桜子の問いに応える老人の話を聞いて、二人は顔を見合わせた。
「とにかく、急いでその刀を探すよりありませんね」
 老人に話を聞かせてくれた礼を述べ、桜子が席を立つ。その様子を見て、老人は微かに眉を潜めた。
「この件に関わるつもりなのかね? かなり危険だと思うよ、僕は。この商売をしていると、いわく付きの刀だの呪われた名刀だのという話は幾つも耳にするが、今回のはとびきり厄介だよ。元来、刀というのは人を殺めるために造られているわけだ」
 その本能のままに彷徨う化け物を、相手にするつもりなのか。
 暗にそう言って引き留めようとする老人に、桜子は静かに微笑んで応えた。
「そうですね。けれど、主を討つ為にあるわけでもないと思いますから」
 必然もなく意味もなく、ただ殺戮の衝動だけに身を任せて人を斬る。
 それもまた、刀に本来求められていたものとは違うと、そう思う。
「手は尽くすつもりでいます。……これも仕事ですしね」
 古びたドアに手をかけ、桜子は厭と共に老人の店を出た。


05:包囲作戦


 古物商を死なせて行方知れずとなっている妖刀がある。
 桜子からそう連絡を受けた智とリューセリーズは、今までに刃物による殺傷事件が起きた場所を詳しく調べる為、大河地区の繁華街を歩いていた。探偵から渡された資料を片手に、智が癖の強い白い髪をかきあげる。
「桜子さんの調べた刀剣商が、神宮地区。ここから始まって、神宮で二件。それから大河地区へと移動してやはり二件」
「雛川様のお店で事が起こる前にも、やはり学院地区で一件、事件が起きておりますね」
「だね。確かに神出鬼没ではあるけど……無軌道に動き回ってる、ってワケでもないと思わない?」
 ほら。
 そう言って、智は事件が起きた場所に赤いマーカで印をつけ、その軌跡を指でなぞる。例えば神宮地区からいきなり山手地区に飛び、それから大河地区方面に戻る……というほど極端な移動はしていない。神宮地区の刀剣商で始まり、そこから事件を起こしつつ移動を重ね、学院地区に至った。そうした印象を受けるルートだ。
 リューセリーズも智の意見に頷いて、髪に隠れていない左目で地図の赤い印を見つめる。
「となると、その妖刀とやらは未だ雛川様のお店の周囲に留まっているのかもしれませんわね。今までの例を見ますに、次に移動するとしてもそれほどの距離ではないのでは」
「そうね。ただ、問題はそれがいつかってコト。雛川さんたちの話だと、店内に刀はなかったのに、突然現れているんでしょう? だとすると、見つけるのも難しそうじゃない?」
 リューセリーズや麗久が見たように、刀が赤い霧から実体化しているのだとすれば、襲撃現場でも押さえない限りは手の施しようがないように感じる。おまけに襲撃現場を制した所で、また霧に姿を変えて逃げられたのでは話にならない。
「……神社に納められていたんだっけ、その刀」
 桜子から聞いた話を思い出しながら、智は地図の上で視線を移動させる。
「だったら、こっちでも神社に相談してみれば何とかなるかな」
 地図の上の一点を指で押さえつつ、智は携帯を取り出し仲間に連絡を入れた。


「神社? なるほどね、さっき桜子から妖刀の話は聞いたよ。再び刀を封印するのに有用な手が無いか、神社で聞いてこいってことだね?」
 智から連絡を受けたチャムは、「分かった」と応えて探偵の事務所を出る。チャムは霊術の専門家としての知識もあるし、かなり派手な装いではあるが巫女の装束を好んで身につけているのだ。神社を訪ねて対策を聞いてくるには適任だろうと目されて、その役を託されることになった。彼女の付き添いとして麗久も共に神社へと向かい、事務所の中には雛川姉弟と黒、それに雪一だけが残る。
「……お店の近くにいるかもしれないんじゃ、やっぱり放ってはおけないわね」
 麗としては他の者たち、特に慈を危険な目に合わせたくないという気持ちは今も強いのだが、危険な妖刀が自分の店の周囲を彷徨っているのでは、放置しておくこともできない。今のところ二回続けて襲撃を受けた被害者はいないようだが、自分たちが例外にならないとは限らなかった。そもそもこれまでの襲撃では少なからぬ犠牲者が出ていて、改めて襲いかかる必要がなかっただけとも言い切れない。
 仲間たちの連絡を待ちつつ、他の事件の様子などを検討していた麗が気の重い様子で溜め息をついていると、彼女の横でオレンジジュースを飲んでいた慈が、姉を励ますようにそっとその腕に手を添える。
「だいじょうぶだよ、お姉さま! ボクがお姉さまを守るから!」
 麗が妖刀を相手にすることに不安を感じていると勘違いしたか、慈が懸命に訴える。その様を見て、雪一は思わず「おねえさま、か……」と呟いていた。先程からずっと、親子のように寄り添っている慈の姿を見て、麗が独身か否か気になっていたのだが。

 少なくとも、あの小さいのが子供ってことはなかったか。

 そう思って何となく頷いていると、雪一の内心を読み取ったかのように麗がぐるりと首を回して振り返る。
「ふふ……慈ちゃんが私の子供にでも見えたのかしら……」
「え!? ハハハ、やだなおねえさま、そんなことはないっすけど!」
「貴方におねえさまと呼ばれる覚えもないけどね……」
 とびきり温度の低い笑顔を向けられ、雪一が慌てて手と首を振る。獲物を追い詰めるが如く、麗が更に雪一に向かって一歩踏み出しかけた所で、携帯が着信を告げた。
「はい、もしもし?」
『あ……白川、です……。今、事件があったと聞いて……緋月さんと一緒に学院地区に向かっています……。刃物に襲われた人がいる、と……』
「分かったわ。詳しい場所を教えてくれる? 私たちもすぐにそちらに向かうから、無理しないでちょうだい」
 厭から事件の起きた場所を聞き取り、麗がメモに書かれた住所を険しい眼差しで睨む。店から近い。被害者は多数の刃物で刺されたような痕跡があり、今は病院に運ばれているとのことだった。
 同様の連絡がリューセリーズからも雪一にもたらされ、事態が緊迫していることを思い知らされる。
「派手に暴れてんなあ。警察に捕まる心配しないで済むヤツは気楽なもんだね」
 携帯を見据えつつ思わず雪一が零すと、黒はメモ帳にペンを走らせていた。
『きっと、楽しいことになりますね』
 書き綴る表情にこれといった変化はなく、漆黒の双眸にも感情の色はない。
 それでも雪一には、彼女がこの先の「厄介ごと」を楽しもうとしている気配がはっきりと伝わってきた。
『必ずもう一度、立ち会う。わかります』
 その時を待ち望んでいる。
 そうとしか取れない字の連なりを見て、雪一は思わず天を仰いだ。


 麗たちが慌ただしく探偵事務所を出る少し前、妖刀対策の為に神宮地区の神社を訪れていたチャムと麗久は、そこで神主に事件の詳細を話し、助言を受けることに成功していた。
「こう……ツボのようなものを刀に向ければ、スポッと吸い込まれる……というようなアイテムはないのか?」
 そう麗久に尋ねられた神主は苦い顔で首を横に振ったが、代わりにと言って手ずから筆をとり、札に何やら書き付けていく。
「それほど便利なものはない。……というよりも、そこまで邪気の強い呪物となればなまなかな術などは受け付けんじゃろう。代わりと言ってはなんだが、この札をやるから持っていくがいい」
 そうして書き終えた札を何枚か重ねて、チャムへと手渡す。
「まあ、簡単な結界のようなものと思えば宜しい。その札に囲まれた場所からは、呪物が出ることはならぬ。もう一つ。その一枚だけ違うやつは、ヤツの正体を引きずり出す為のものよ。その札が効いている間は、姿を変えて逃れることはならん。……そうでもせんと、結界の効力が切れるまで霧に変じて潜まれていたのでは話になるまい」
 お前さんなら、使い方も分かるだろう。
 神主にそう言われると、チャムはしばらくじっと札を見つめていた後、はっきりと頷く。
「うん。これの使い方はボクに任せてもらって問題ない。麗たちに協力を頼んで正解だったね。この作戦を上手くやるには人数が必要だし」
 結界を張ろうにも札の枚数が少なすぎては範囲も強度も話にならない。しかし桜子が麗たちに話を通してくれたおかげで、今の人数なら十分だ。
 これで、今まで幾人もの血を吸ってきた妖刀を再び封じることができる。
 そう確信してチャムが預かった札を懐にしまい込んでいると、携帯で仲間と連絡を取っていた麗久がふと形の良い眉を潜め、神主とチャムを振り返る。
「また犠牲者が出たようだ。場所は学院地区で……雛川書店に近い」
「……急ごう。この札を使う前に遭遇しちゃうと、ちょっと面倒なことになるからね」
 二人は神主に礼を言うと、急いで神宮地区へと向かう。決着をつける時が近づいていた。


「あ、いた! 二人とも、こっちだよ!」
 仲間と連絡を取り合いながら学院地区に駆けつけた桜子と厭は、大きく手を振っているチャムの姿を見つけて足を止める。チャムと麗久が神社で札を預かってきたという話を聞いて、二人はホッと胸を撫で下ろした。とにかく、最低限の対抗手段は手に入れたといっても良い。
「まあ、相手を炙り出して逃がさない為の手段であって、これで倒せるってほど威力のあるものではないけどね。今までの状況から見ても麗久たちの話からしても、かなり手強いみたいだし」
 特にボクたちの場合、まずは衝動に捕らわれないことかな。
 自身もヨモヅチの業魂であるチャムがそう言うと、桜子も頷きながら口を開いた。
「被害者の中には業魂も宵闇の者もいたわけですし、それが殆ど相手にならずに斬り伏せられているのです。けっして楽な相手ではないと思いますが」
 それでも、トラブルシューターとして事件の解決を請け負ったからには、結末を見ないままに引き下がることはできない。
 自分の名前と同じ、桜の花を象ったネックレスをそっと指先で触れて、桜子は一つ一つ確かめるようにしながら言った。
「それだけに、このまま野放しにもしておけません。智さんたちにも連絡を取って、幾手かに別れて包囲網を敷きましょう。それで敵が動ける範囲を限定して追い詰める。確実に討つにはこれが一番かと」
「そうだね。じゃあ、ボクと麗久は智たちに札を届けに行くから。これは君たちの分」
「はい。では、私たちは麗さんたちと合流してお札を渡しておきます」
 お互い、敵と遭遇しても仲間が駆けつけるまでは無茶はしないと確認して、チャムと麗久は他の者たちに札を届けるべく去っていった。

 去っていくチャムと麗久を見送った後、厭は自分の手に渡された札へと視線を落とした。この札があればその結界より外に刀を逃がすことはないということだが、逆に言えばそれ以上の効力があるわけではない。麗の店で暴れ回ったという刃物や妖刀から、厭を守ってくれるわけではないのだ。
 正直、怖くないと言えば嘘になる。魂約者もいない今、一体化できるわけでも霊技が使えるわけでもなく、武術の心得もない自分が何か役に立てるのだろうかと不安もあった。

 ——それでも……

 両手で慎重に札を持ち、大切なものを扱うようにそっと胸に抱く。
 ある程度の人数が必要な作戦なのだと、チャムが言っていた。それなら、この札を持って他の人たちに協力することで、自分にも役立てることがある筈なのだ。
「麗さんと連絡が取れました。行きましょう」
「……はい……!」
 連絡を終えて行動を促す桜子の言葉にしっかりと頷き、白い兎を思わせる少女もまた、己に出来ることを成す為に走り始めた。


「そう、私と慈ちゃんが一緒よ。今、お店の前まで来た所です。お札? チャムちゃんたちが手に入れてくれたのね? わかりました。……くれぐれも、そちらも無理はしないでね。お願いよ」
 桜子から連絡を受けた麗はお互いの状況の確認を終え、ほっと息を落とす。いよいよ敵との接触が近づいており、心なしか周囲の空間に歪な敵意が満ちているような気すらした。
「私と慈ちゃんはここでこのまま待機して、桜子ちゃんたちを待つわ。雪一君と黒ちゃんは桜子ちゃんからお札を受け取ったら、この位置へ」
 そう言って包囲網を完成させるべく互いの位置を確認すると、雪一も麗が示した地図を見て頷いた。都合の良いことに、時刻は既に深夜近く。学生たちが多いこの一帯は人通りも絶えて、他人を巻き添えにする心配はなさそうだ。
「つまり、その札ってのがあれば、そっから外には出て行かないってことでオーケー?」
「ええ。札を持っている人を線で繋ぐ感じなんじゃないかしら? その辺りはチャムちゃんが手配してくれているから、間違いないと思うけれど」
 あの刀が近くにいるからだろうか、事務所にいた時よりも慈の顔色が悪いような気がする。せめて慈だけでも安全な場所で大人しくしていてくれないだろうかと思うのだが、いつもは素直に姉の言うことを聞いていくれる慈が、今日に限っては絶対にお姉さまと一緒にいると言ってきかない。
 どうして、と呟きかけて、麗は淡く苦笑した。
 理由は分かっている。
 ヨモヅチとして、無闇に人を傷つけて回る妖刀を無意識に否定したい気持ちはあるのだろう。それに、麗を心配して守ろうとしてくれている。
 そして、たぶん、もう一つ。
「やっぱり男の子なのねえ」
 他の者には聞こえないような声で、小さく呟いた。
 麗に心配をかけたくないとは思っていても、自分だけが「特別扱い」で気遣いされることを、拒もうとしている。

 成長しているんだ。

 ふと、そう思った。
 いつも麗と一緒にいたがる、怖がりで甘えん坊の慈。
 そう思っていたけれど、そんな慈もやはり少しずつ成長しているのだ。未だ年齢より幼く見える小柄な体で、けれど麗を支え守るつもりでいる。
 その成長が嬉しくて。
 けれど少し、寂しいような気もして。
「これじゃあ、本当に母親みたい……」
 自嘲するように呟いたその言葉の余韻が完全に消える前に、桜子たちが駆けつけてきた。


 桜子たちから札を受け取った雪一と黒は、すぐに麗らと別れて自分たちの持ち場へと向かった。全員が位置についたのを確認したら、少しずつ輪を縮めて使われていない工場に妖刀とやらを追い込む。そういう段取りになっていた。
「厄介だなあ、あの衝動」
 魂約者である黒が共にいるので、本来なら雪一は一体化して戦うこともできたはずなのだ。日本刀として黒に振るわれた後には酷く疲弊するので、できればやりたくないとは思っているものの、身に危険が迫っているとなれば手段を選ぶつもりはない。
 しかし今回は敵がヨモヅチの衝動を駆り立てることが判明しており、暴走を起こせば予期せぬ事態になりかねないと、一体化せずに敵と対峙する方針が確認されていた。
「まあ放置しておいてもっと面倒なことになっても困るけどさ」
 正直なところ、雪一としては自分と黒の安全さえ確保できるのならば、妖刀がどう暴れていようが知ったことではない。しかし今回は既に一度、危害を加えられた後なのだ。二度も同じ火の粉を浴びるのは馬鹿のやることであろう。どうせなら火元から徹底消火するに限る。
『気配が』
 メモにペンを走らせ、その表面を軽く叩いて、黒が注意を促す。他の者が相手ならばもう少し詳しく書いただろうが、雪一が相手ならこれで通じる。
「来やがりますかあ」
『この街の面倒事は、たいていどこか面白いものです』
 どことなく笑うようなニュアンスの文字。勘弁してよと言いたげな雪一を見ながら、黒は行こうと促した。もちろん、心地よく吐き気のするような殺気が濃く凝る場所へ、だ。


06:殺陣


 チャムから結界の為の札を受け取り、自分たちの持ち場へと移動してすぐ。リューセリーズと智は周囲の空気が塗り替えられていくような感覚を捉え、顔を見合わせた。
「雛川様のお店の時と、気配がよく似ておりますわね」
「当たりクジ引いたってことかな? 何て言うか、妙な事件ばかり起きる街よねえ」
 凶悪な事件を引き起こしてきた敵の気配を感じながらも気負う様子はなく、智は青い眼で周囲を見渡す。肌を焼くような殺気は急速に濃密なものとなって、それが限度に達したと思われた時。
「来ました」
 既に一度、同じ敵を相手にしていたリューセリーズが警告の声を発する。次の瞬間、智たちの右側で何かが破裂するような音がして、既に店終いしていた文具屋のガラス窓が割れた。粉砕されたガラスの破片が月明かりの下に奇妙に澄んだ光を撒き散らして、その中に紛れるようにして多数の刃物が智やリューセリーズを目がけて突進してくる。空気を割く短い音が連作して、夜の中に銀色の光を鈍く弾きながら、鋭い切っ先を向けた刃物の群は二人を包囲しつつあった。
「動きは単調だけど」
 智の言葉を遮るように二人の鼓膜を振動させたのは、耳障りな金属音。

 ——鞘から放たれろ
 ——一度抜かれれば人の血に染まるのが刃の性

 そう誘うような衝動が二人のヨモヅチの内側から湧き上がる。獰猛に心身を支配しようとする衝動にしかし動じることもなく、智は頭上から降りかかるようなハサミの一撃を身体を横に開くことでかわし、その勢いで正面から飛んできたカッターナイフに蹴りを浴びせる。
「チェストォォォオオオッ!」
 湧き上がる衝動ごと断ち切るような、気合いの声。十分に速度を乗せて鋭く繰り出された脚は、狙いを外すことなくカッターナイフを叩き落とす。地についた脚を軸にして、今度は左。しなやかな動きで、彫刻刀とペーパーナイフを纏めて蹴り落とした。智を衝動に染めることが出来なかった時点で、刃物の敗北は決していたかもしれない。いかに速度があるとはいえ、人間めがけて直線的に突進するだけの単調な動きでは、それこそ刃物のように鋭く振るわれる彼女の蹴りから逃れることは出来なかった。
「来ても良いけど? カッター相手に手加減してあげるほど、アタシも優しくないよ?」
 油断なく立ち回る智の周囲では、目に見えて刃物の数が減り始めていた。

 手のひらに僅かばかり感じる熱さ。文具店の窓を突き破って襲いかかってきた折り畳みナイフを中空で掴み取り、リューセリーズはその刃を見つめる。それから携帯電話を取り出すとチャムに連絡して、襲撃があったこと、それに自分たちの現在地を伝えた。
「それと、もう一つ。書店でもそうでしたが、浮いている間に掴み取ってしまえば刃物の動きを止められるようです」
 すっかり大人しくなったナイフを投げ捨て、リューセリーズは仲間に伝える。その自分の言葉を確かめるように、側面から飛び出してきた彫刻刀も掴み取った。が。
「……失礼、訂正させていただきます。『柄以外の場所を掴めば』動きを止めることができるようですわね」
 リューセリーズに柄を掴まれた彫刻刀はまだ激しい抵抗を続けており、それどころか衝動を増幅させているような気すらする。眉一つ動かさずその彫刻刀を地面に叩き付けると、再び浮かび上がる前に踏みつけ、刃を折った。
「刀を折った後には完全に沈黙しておりますね。私と白瀬様はこのまま抗戦しつつ工場跡地に向かって移動を開始します。皆様も御武運を」
 淡々と言って、ついでのようにエプロンでカッターナイフを巻取りながら、リューセリーズは智と共に工場跡地に向かって移動を始めた。


 智たちと交戦した刃物の群は、数分するとパタリと静かになった。どうやらこの場で獲物を屠ることを諦め、移動を開始したらしい。
 地図で妖刀の居場所を推測しながら、チャムは忙しく仲間たちとの連絡を取っていく。
「智たちが遭遇した後、雪一たちも刃物が飛び交うのを目撃してる。大丈夫、順調に工場跡地に向かっているよ。このまま包囲網を狭めていこう。麗たちも移動を開始して」
 麗久と共に自分たちも移動を開始しながら、チャムは携帯を通して麗に作戦の仕上げを告げる。神主から預かってきた札は今のところ問題なく機能しているが、そう長く保つものではないことも、霊術の知識に長けたチャムには分かっていた。何しろ急いで書いて貰ったものだし、敵の気配の禍々しさも尋常ではない。
「まだこっちは遭遇していないっていうのに、この息苦しさだからね。酷く空気が淀んでる。これは確かに、尋常な相手じゃないな」
「書店で見た時より力を増しているかもな。……恐らくは、血を啜ったから」
 それほど近くにはいない筈なのに、肺の辺りを見えざる手が撫でるかのような、不快な感覚。不快で、おぞましく、なのにどこか親しげで。
「……二度も三度も同じ手にかかると思うなよ」
「そうこなくっちゃね。今度はボクたちが策を披露する番さ」
 固い表情で前を見据えている麗久に、チャムは自信に満ちた声で応える。雪一と黒の組から連絡があって、敵を完全に工場跡地に追い詰めたことが判明した。
「行こう、麗久! このまま距離を詰めて封鎖するんだ!」
「了解」
 夜の街に錫杖の音を響かせるチャムに麗久が短く応じ、二人は工場跡地へと急いだ。


「ちょっと待てこれ!? 追い込む場所を間違えたんじゃねーか!?」
 刃物が引き起こす騒動の後を追い、一番先に工場へと辿り着いた雪一が、その中を飛び回る無数の刃物を見て強ばった声を上げる。小規模な板金工場だったということなのだが、廃棄されてまださほど日にちが経っていなかったのか、それとも余程に急いで閉める事情があったのか。工場の内部には未だ多くの工具が残されていて、その中には刃物も多い。事務員が使っていたと思われるハサミやカッターはもちろん、ステンレスを切るために使う大きな金切り鋏。それに壁際に置かれていた大型の切断機まで動き出したのを見て、雪一が舌打ちする。厄介な所を決戦の舞台に選んでしまったとは思うが、他に適当な場所が無かったのも確かだ。雛川書店の側で、人目に付かない場所。いかに学院地区の夜は人通りが少ないとはいえ、公園程度では途中で誰かこないとも限らない。
 とにかく他の仲間が来るまでに少し片付けておくかと、雪一も黒も手近な刃物から相手にしはじめた。動きは不気味なほど正確であるが力はあまりない黒をカバーするように、雪一が叩き落とされた刃物を砕いていくことに専念する。自分を狙って襲いかかる大きな金切り鋏を、黒の腕が這うようにして絡め取った。絶妙な加減で開かれていた刃を抑え、大人しくなったそいつを投げ捨てると同時に、身体を潜らせるようにして切断機を左の手のひらで突き上げると、反対の手で押さえ込む。

 小柄な黒が目まぐるしく位置を変えながら立ち回り、幾つもの刃物をいなしていく。より濃密な殺気の凝固する場所へ、より強烈な重圧感の居座るそこへ。まるで誘われるようにして「その」場所を目指して黒が移動すると、彼女の動きに呼応したか、あの刃鳴りに似た音が空気を振るわせる。
「だーッ! またこれか!」
 自分の耳を塞いで雪一が毒づくが、今回は敵の手口が分かっているだけに、書店の時のように気付く前に乗っ取られるという最悪の事態は避けることができた。更に二人を助けるように、次々と仲間たちが駆け込んでくる。
「ご無事ですか」
 割れた窓から吹き込む夜風に黒い髪を遊ばせながら桜子が工場に立ち、すぐに状況を把握すると、まとわりつく衝動に眉を潜めながらも身構えた。敵を倒すためというよりは、黒と雪一から幾らかでも敵を引き剥がすのが目的だ。死角を取られぬよう正確に脚を捌いて場所を選び、自分に向かってくる刃物から身を守るのに専念する。
 桜子と共に工場へとやってきた厭は、足を踏み入れてすぐ、自分を支配しようと絡みついてきた衝動に驚き、嫌がるように首を振ると耳を塞ぐ。思わず座り込みそうになってしまったが、どうにか気力を奮い起こして耐えた。
「!?」
 その厭の真横から、金属を切断するための専門のノコギリが唸りを上げて襲いかかる。その一撃は慌ててかわしたものの、今度はガラスカッターが飛び上がって突進してきた。立て続けの襲撃に蹌踉めいた厭を庇うように、銀光がその前方の空間を薙ぐ。錫杖の飾りが、この空間に満ちる邪気を清めるようにしゃらりと揺れた。
「刃物なら何でも自分の思い通りになると思われちゃ困るな。ボクの仕込み刀までは操れないよ?」
 錫杖に隠されていた仕込み刀を翳し、チャムが不敵に宣言する。そのすぐ後には智とリューセリーズ、それに麗と慈の二人も倉庫に到着して、それを見たチャムは唇の端を吊り上げるようにして笑みを刻んだ。
「これで絶対、この工場から出ることはできないね」
 距離を縮め密度を増した結界の中、追い詰められた刃物たちが猛り狂ったように攻撃の勢いを増す。その中心へと躍り込むと、智は桜子を助けつつ次々と刃物を叩き落とし始めた。

 頭上を高速で飛び交うカッターナイフにも眉一つ動かすことなく、黒はより濃く淀む殺気を求めて工場の中を進み、そしてついに見出す。赤い霧が渦を巻き、周囲の空気を禍々しく塗り替えながら、凝縮していく。
 捉えた。
 その確かな感触に心躍らせながら挑めば、鋭く突き込まれた指先にもぎ取られるようにして、霧の一部が中に散る。その中から姿を現したのは、一振りの日本刀。

 工場の窓から差し込む月明かりの中、その鋼は既に血に濡れたかのように、うっすらと赤い光をまとわりつかせている。優美に反る刀身。見る者の心を吸い寄せるような波紋の連なり。既に幾人もの犠牲者を血飛沫の中に沈めてきた妖刀は、陰惨な美しさで虚空に浮かび上がっている。

 その存在に迫ろうとした黒に己の力を思い知らせるつもりなのか、一度、二度。空を絶つ音を鼓膜に残し、あやかしの刃が黒の小柄な身体目がけて翻る。それを僅かな動きでかわし、黒は彼我の位置を入れ換えた。彼女の足下を狙おうとしたガラスカッターは、雪一が鞭のように振るった学ランの上着に跳ね飛ばされる。
 三度目。
 下段から切り上げるようにして襲いかかる妖刀を、黒が何気ない動きで刀身の中程を叩き、地に滑らせる。

 戦いの為に造られたものとして、本能的に危険を感じ取ったのかもしれない。黒に叩き落とされた妖刀は、そのまま悲鳴のような金属音を残すと、輪郭をじわりと滲ませる。そのまま霧と化して逃れようとしたのだろうが、チャムが素早く妖刀へと駆けより、その試みを許さない。
「もう逃がさないよ!」
 半ば姿の霧の中に埋もれかけていた日本刀へと札を叩き付け、仕込み刀でもってその中心を霧ごと貫く。妖刀が発する金属音が、より悲痛なものとなって工場内部の空気を震わせた。
「……ッ!」
 麗と共に工場に駆けつけ、彼女の後ろに隠れながらも懸命に刃物と戦おうとしていた慈が、声にならない悲鳴を上げて頭部を抱える。今までに経験がないような禍々しい衝動に抗い、きつく唇を噛んでいるその様子を見て、麗が眉を吊り上げた。
「慈ちゃんを苦しめると許さないわよ……!」
 護身の為に持ってきていた御守短刀を抜くと、どうにか宙に逃れようと藻掻いていた妖刀へと刃を叩き付ける。何らかの力に守られているのか、清浄な光を放つ短刀は妖刀の呪わしい力にも汚されることなく、その刀身に大きなヒビを入れた。
「……これで幕とさせて貰おうかッ」
 空中で回転しつつ方向を変え、そのまま割れた窓から逃れようとした妖刀を、麗久が日頃の彼女からは考えられないような、凄まじい形相で睨み付ける。それから己が傷つくのも構わず、麗久は拳でひび入った妖刀の刀身を殴りつけた。

 ガラスが砕けた時と似ている、切なく澄んだ音。

 この夜の戦いの終わりを告げるその音を夜陰の中に響かせて、長くに渡り人の血を啜り続けてきた妖刀は、ついに砕け散って動かなくなった。


07:封印


「え? 完全に封印することはできない? それってどういうことですか」
 何しろモノがモノだけに、砕けてそれで終わりになってくれるとも限らない。やはり専門家にきちんと処理して貰った方が良いだろうということになり、麗たちは砕けた妖刀の破片を掻き集めると、札を譲ってくれた神社へと持ち込んだ。
 これで後は封印してもらって一件落着。
 そのつもりでいたというのに、老いた神主は妖刀の破片を見るなり難しい顔で首を振る。
「砕けて尚これほどに禍々しい気を発する刀は珍しいのう。このまま破片の状態で封じておっても、いずれ力を取り戻して世に出るだろうよ」
 おそらく、以前これを封じていた神社でもそうだったのだろう。
 封印されながらも密かに力を蓄え、やがて人を誘い呼び込み、その欲望に取り憑いて血を啜る。どれほどの時間をかけたかは不明だが、その為に神社は寂れて奉納された刀が売りに出されることになったのだ。
「それじゃあ、またこの刀は人をきず付けるの!? せっかくお姉さまたちが退治したのに!」
 砕かれた刀身を見て慈が納得できないとばかり声を上げると、神主は少し考え込んでいたが、やがて「……やれんこともないか」と小さな声で呟いた。
「お前さんたちが……というよりはヨモヅチの業魂が協力してくれるなら、封じておく手がないでもない」
「ほんとう!? おじいさん、ボク、なんでもする!」
「め、慈ちゃん、そんな簡単に言っちゃ駄目よ!」
 危険なことだったらどうするのだと麗が慌てて慈の肩を押さえたが、神主は案ずるなと言うように手を振ってみせた。
「危険というほどのこともないわい。この欠片をヨモヅチの中に分散して封じてしまえばええ。そこまですれば、流石に力を取り戻すこともできんじゃろうて」
「そんな……こんなものを封印して、またあの衝動が生まれたりしたらどうするんですか」
 こんな妖しげで禍々しいものを、慈の中に封じろというのか。
 麗は心配して反対しようとしたが、このままでは危険なこと、破片を封じたヨモヅチに悪影響はないことを繰り返し説明され、渋々頷く。
「衝動なんぞというものは、別にこやつがそそのかさんでも起きる時は起きる。ヨモヅチであろうがなかろうが、業魂だろうが宵闇の者だろうがただの人間だろうが、ふとその瞬間に立ち会うことはあるものだ」
 神主はそう言って、その場に立ち会っていたヨモヅチたちにどうするかと問うた。
「どうするって言われてもなあ」
 放置しておけばまた面倒なことになる以上、ここで完全に根を絶っておくよりないのではないか。雪一が仕方ないと言いたげな様子で頷くと、他の者たちも同意して封印の件を受け入れた。
「お姉さま、だいじょうぶだよ! ボク、あんな刀なんかに負けないもん!」
「慈ちゃん……」
 自分の手を取りながら明るい笑顔でそう言われてしまえば、麗もそれ以上反対することはできず。
 複雑な儀式を経て清められた妖刀の破片はそれぞれのヨモヅチの手に渡され、それからその手を通して魂命石へと吸収されていった。


「……以上がこの事件の結末です」
 神社での儀式を終えた後、桜子は作成した調査報告書を携え、探偵の事務所を訪れた。くたびれた上着を肩にかけていた探偵は彼女の話を聞いて頷き、報酬を用意する。それからふと思いついたように報告書から顔を上げると、僅かに苦い顔で問いかけた。
「しかし、そんな物騒なもんを封印して本当に大丈夫なのか? 何人も狂わせて殺してきたっていわく付きの刀だろうが」
「そうですね。でも……」
 疑わしそうな探偵の言葉に微かに目を伏せ、桜子は胸元に咲く桜へと手を触れさせる。こういう形での封印に、全く不安がないかと言えば嘘になるが。
「私たちにはその衝動に抗って、人として生きていくだけの力がある。……私はそう信じていますから」
 穏やかながら、確信に満ちた声でそう告げると、桜子は探偵の事務所を後にした。日差しは暖かく、あの禍々しい事件がまるで嘘のようだ。
 いずれまた、あの衝動と巡り会うことはあるのかもしれないけれど。
 共に戦い、あの夜を乗り切った仲間たちとともに、今はささやかな祝宴を開こうか。
 そう考えながら、桜子は雑踏の中へと戻っていった。



作品詳細
商品名 シチュノベL クリエーター名 加賀
参加キャラクター 【a2208hp】雛川 麗
【a2860hp】柏原 黒
【a0552gp】緋月 桜子
【a1270gp】白瀬 智
【a1480gp】チャム=ファルコン=フィガロ
【a2100gp】綾木 麗久
【a2415gp】雛川 慈
【a2927gp】白川 厭
【a3091gp】白 雪一
【a6893gp】リューセリーズ=キルシュブリューテ=フォイアーフォーゲル



この作品を作ったクリエーターの紹介(異界へ移動します)

詳細
【writer】 加賀
【最新更新日】 2013/05/08
詳細
【writer】 加賀
【最新更新日】 2012/10/04